将棋世界の
まんがで予言として「羽生善治 いずれタイトル戦に出てこれなくなる男」「当たり前のこと言ってるだけよ」って言ってさもその意見が当然なように描かれてますが、将棋ファンからするとこのまんがは解せないのですが。
大山十五世名人は1990年、66歳で棋王戦に挑戦。1992年の年度末には名人戦挑戦プレーオフを戦い、その年の7月に死去されています。
大山十五世名人が「タイトル戦に出てこられなくなったか?」の問いに、はっきりNoと答えたくなるのですが。
羽生先生が「タイトル戦に出てこられなくなる」のも、当たり前とはとても思えません。晩年がどのような形になるにせよ、将棋ファンが注目しなくなる成績になるとは、大山先生のタイトル獲得歴から比較して考えても、とても思えません。
あえて、一歩踏み込んだ発言をすると、このまんがは、ちょっと将棋を知らなさ過ぎる人が描いていると思いたくなるのですが、あなたはどう思いますか?
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嫌な話にはなりますが、引退したらタイトル戦には出れませんからそういう意味で言っているのではないでしょうか(^o^;
追記:私もそうは思いますが・・・どうなのでしょうね。まだまだ先の話だからどうなるかわかりませんし。実は暗に羽生先生に引退しないで下さいねってメッセージが込められた漫画だったりして。・・・深読みしすぎかな(^o^;
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羽生名人のファンなんですね。ご質問の意図は、羽生さんがはっきりと衰えを見せるまで指し続けているとは思えないので、当該まんがネタの表現は不適切ではないか、というものでしょうか?
そうだとすると、私は質問者さんとは若干意見が違います。羽生名人でもいずれ無冠となったり、引退したりする日が訪れてもおかしくない。べつにそのことを話題にしても、本人も、将棋を知っているファンでも、怒るどころか当然の話だと考えると思いますよ。老いて力が落ちるのは当然のことです。悪いことでもなんでもないですし、醜いことでもなんでもないです。自然の摂理なわけですし。ただ、大事なのは将棋を追求したい気持ちが薄れていないかどうかということになるのだろうと思います。
将棋世界のまんがでのネタということですが、あたかも決まったかのごとく描いているのは、表現上の文脈で避けられぬものだったんだろうと推察します。作品を見ていないのでなんともいえないところですが、私も将棋世界を購読しているのですがこのネタは記憶に無いので、たぶんそういう文脈での他愛も無い空想話だったんじゃないでしょうか。むしろ、このネタを書くほど、まんがの作者は誰よりも羽生ファンを自認しているかもしれませんよ?なんだかそんな気がします。
それと、大山十五世名人はちょっと例外的な傑物なので、比較対象に持ち出すのはあまり適当ではないかもしれませんね。当時と現代〜未来では、価値観も将棋観も違っても不思議ではありませんから。羽生世代の引き際は、けっこうあっけない感じで訪れる気がしますし、「D級2組陥落による引退」なんて感じの最後かもしれません。羽生さんをはじめとする羽生世代にとってかわる世代が登場するということは、将棋界の新陳代謝が起こっている証拠でもありますから、歓迎すべきことだと思いますよ。想像するのは自由ではないでしょうか。どうなるか見てみたいですね。長生きしなくては。
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現代はスピード時代です。無冠が2,3年も続けば、もう羽生名人の時代は終わったとばかりに囃したてられる日が来るでしょう。もちろん、いやまだまだだという人もいるでしょう。それは人それぞれですから。今はまだ、そうなる日は想像もつかないでしょう。ファンにとっては想像したくもないでしょう。それはそれで構いません。それは人それぞれですから。
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