将棋の「新手」とは?
先日、渡辺竜王が順位戦で羽生王座に敗れたとき、「新手にうまく対応できず悪くなり、そのまま負けた」とコメントしてました。
素人考えかもしれませんが、将棋の戦型は数多くありながらも、長い歴史の中でセオリーやその対応法が出尽くしているような印象があり、だからこそタイトル戦であっても具体的な解説がリアルタイムにできるのかと思うのですが、このタイトル保持者でも対応しきれない「新手」などというのは容易に出るものなのでしょうか。はたまたそんなことができるからこそ、羽生王座が他のプロ棋士よりも凄いと言われるのでしょうか?
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前にも似たようなニュアンスの質問があり、それに回答したものをまず紹介しておきますが。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1063201170
これを膨らませて話を進めますと、ある局面での優劣が不明であったり、現状での研究ではどちらかが有利といえる状況でも不利な側に打開の余地が残されていると考えられている局面があったとします。その時に前例のない手が指され、その手をきっかけに形勢が大きく有利に傾いた手を「新手」と呼ばれます。
しかし先の内容でも書いていますが、同じ投了図は2つとありません。つまりその手の優劣はともかく、どの対局でも前例を離れ、未知なる局面へと進むきっかけとなる「新手」は必ず存在します。羽生さんだけでなくプロは皆、それを生み出すために努力し、またその局面に立ち向かう時にその手がいい手かどうか、またその局面で有利になる手はないのかを判断する力も養っているのです。だから一昔前は有利とされていた局面が、今では不利とされているものも少なからずあるのです。
それだけでなく、左美濃・居飛車穴熊対策で考案された「藤井システム」、横歩取りの戦い方を大きく変えた「中座流△8五飛」、角道を止めない「ゴキゲン中飛車」などなど、羽生さんがプロデビューしてからだけでも、こういった新しい戦法が次々と登場しているわけです。なので軽々しく“出尽くした”などと言うのはプロに対して失礼だと思いますよ。
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>長い歴史の中でセオリーやその対応法が出尽くしているような印象があり、
出尽くした、はさすがにちょっと言いすぎなような気がします。例えばこの戦いでも出たゴキゲン中飛車、これなどはここしばらくで現れあっという間に大流行した戦法ですが、いまだに指され続けています。指され続けているということは即ち居飛車、振り飛車どちらをもっても結論めいたものが出ていないということです。
確かに棋理、というかセオリーについてはある程度確立されていると思いますが、それらは逆に言うと先入観のようなものに囚われてしまう危険と背中合わせです。
羽生三冠の凄いところは、そうした先入観に囚われず、常にフラットな状態で盤面を見ることが出来る、だから普通の棋士にはなかなか見えない手が見えるところなのではないかと思います。
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