2012年3月12日月曜日

将棋のテレビを観ていていつも疑問に感じるのが「感想戦」というやつなのですが、...

将棋のテレビを観ていていつも疑問に感じるのが「感想戦」というやつなのですが、今まで真剣勝負で戦っていた(はずの)2人が、終わるやいなや、あーでもない、

こうでもないと、にこやかに談笑しているというのは、不謹慎といいますか、とても勝負事のイメージではないのですが。

研究を必要とするのは何も将棋に限ったことではなく、ゲームにしろスポーツにしろ沢山あって、たとえば大相撲なんかでも、「あの時、まわしを引いたのが少し遅かったですか。」とか、「つりに来た時に切り返せばよかったですかね。」とか、別に2人で反省会をやってもいいわけですが、それは勝負の美学に反しますし、第一、敗者が勝者に対して言う言葉など何もないでしょう。

将棋は「勝負」じゃないんですか?なんなんですかね?


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将棋は間違いなく勝負です。

タイトル戦では体重が5kgも落ちることがあるという程、全身全霊をかけています。



しかし、それと感想戦は別ですね。

感想戦は「切磋琢磨」という目的です。

お互いに高め合おうというのが目的で、相手を蹴落とす事よりも重要だと思います。

小手先の勝ちよりも、実力を付ける事を重視しているという事ですね。



ただこれも、少しだけ昔までは、妙手や重要な変化までは晒さないという事が多かったらしいです。

同じ局面になった時に、相手が何を考えているかを知っていれば妙手も防げますからね。

しかし、あの羽生善治氏は、思いついたことや考えていた手を全てさらけ出すようです。

羽生世代は、「島研」に代表されるようにそれまで一人で行う事が普通だった研究を複数人で集まってするようになった初めての世代だそうです。

ですから、羽生さんにとってはお互いに全てさらけ出し有って強くなろうという意識があるのだと思います。



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そういう印象を持つ人もけっして少なくないと思います。

中にはそう思っている棋士もいるでしょう。

しかし、プロ棋士は日本将棋連盟に勤めている会社員みたいなものですから、社の方針に従わないわけにはいかないのですよ。

もしも、将棋人口が2~3倍になって、別の活動団体が登録されたりしたら、勝負至上主義というのもアリかもしれません。

現在の感想戦は単なる可能性の1つで、過去からの流れに沿っているだけで、たまたまですよ。

将棋人口拡大のためのサービス精神であることも多少は言えますかね。


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(長文になってしまい、申し訳ございません)

将棋の有名な言葉で

「棋は対話なり」というものがあります。

交互に一手ずつ指すため、「こう行くかな」

「そうくるならこちらは・・」というやり取りを永延しているのが

将棋です。なので、終わってから会話すること自体は

自然なことだと思います。「あの時どう感じていましたか?」など、

実戦心理を垣間見れるのも勝負する上でプラスとなります。

勝負の後のもう一つの楽しみ・勉強といった感じです。

これをやることにより、「やりっぱなし」にならない、

反省するし、記憶にも残るのです。



相撲では確かに感想戦はしませんね。

立会いで負けてそのまま一方的に押し出された。

立会いでフェイントされて、バッタリ、

体格差がありすぎる、などは反省しづらいですね・・

将棋は、互いに同じ戦力で戦います、必ず交互に指します。

いつも同じところから始めますし、平等なんです。

曙の怒涛の押し出しは、絶対誰にも真似できませんが

羽生さんの指した手は、誰でも真似することができます。

また、「体で勝負」と「頭で勝負」という面でも決定的に違います。

というわけで、感想を述べる意味合いも全く異なります。



勝負の美学に反するとのことですが

勝っても敗者を思いやる、反省し心をニュートラルに保つ。

負けてもしっかり反省すれば、次に困難な場面を迎えても

「何か手はあるはず」と思えるようになります。

これが、日本人の気質・勝負の美学です。

ボクシングと空手・柔道との違いみたいなもんです。



長文疲れましたが、ご参考までに・・


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将棋というものは、盤上の会話ですから、

感想戦はその会話の延長です。

話すことで、「さっきのあの一手はどうしてなのか」とか、

「ここでは、こっちの一手の方が良かったのか」など、

2人で考える事が出来ます。

実際、プロは対局以外のオフの時、「研究会」というものを開いて、

何人かで集まって将棋を指し、

その指した一手一手を慎重に考えています。

「将棋」は定跡やただ単に先を読む力だけでなく、

「これだ!!」という直感的な次の一手を発見し、

その一手を考える必要があります。

将棋は「勝負」ではなく、「会話」という事を

忘れないでください。そうすれば、

nhk杯などの対局も、見え方が変わってきます。

長くなってしまい、申し訳ありません。


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肉体的なスポーツのように時間が短く一瞬で勝負が決まるジャンルではありません。何分も前からどちらが勝つか負けるか、対戦者たちは理解していて「負けました」と言う時は悔しさやなんかの気持ちの整理はつけてから言うのです。



だから「負けました」のあとは冷静に分析をするだけのフラットな状態になっているわけです。感想戦は強くなる方法としては最高のものの一つなんだから、冷静になればやらない手はありません。意固地になっていても得はありません。ましてプロ将棋界は究極の村社会ですから「感想戦もやらずに帰った」みたいな行動を取れば噂になり、損をします。



それから、にこやかに談笑しているのはテレビの前だからです。テレビに映らない棋戦とかではいろいろあって、ある局面で意見が食い違うと、言い争いがヒートアップして「じゃあここから賭けで一丁やるか」みたいな状態になったりもするらしいですね。それを年長者が仲裁したりして…

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